NO.1
垓下歌 (古詩) 項羽
力抜山兮気蓋世 力 山を抜き 気 世を蓋(おお)う 時不利兮騅不逝 時 利あらず 騅(すい) 逝(ゆ)かず 騅不逝兮可奈何 騅の逝かざる奈何(いかん)すべき 虞兮虞兮奈若何 虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん 私の力は山をも引き抜き、意気は世を蓋い尽すほどであった。 ところが、どうしたことだろう。 天が味方をしてくれず、おまけに愛馬の騅も進まなくなった。 騅が進まなければ、どうしょうもない。 虞や虞や、愛しいおまえをどうしょう・・・ 返歌 (古詩) 虞美人 漢兵已略地 漢兵 已(すでに)地を略し 四方楚歌声 四方 楚歌の声 大王意気尽 大王 意気尽く 賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)何ぞ生(せい)に聊(やす)んぜん 漢の軍はすでに楚を攻略し、 四方には楚の歌声がする。 大王様が気力を無くされては、 私はどうして生きていられましょう。 秦の始皇帝の死後、圧政に苦しんだ人民の反乱が起き、 次第に楚の項羽と漢の劉邦の覇権争いに進みます。 当初は項羽が圧倒的に優勢であったが、次第に形勢は劉邦に傾き 垓下に追い込まれます。 取り囲んだ敵軍より故郷の楚の国の歌声が聞こえてくる。 最後を悟って、夜 別れの宴を開きます。 はらはらと涙を流す項羽に、虞美人は「返歌」で和し、 剣の舞をまって、その剣で自害します。 |
NO.2
項羽の死に対して後世の詩人の相反する考えの詩と 功成り遂げた劉邦の故郷へ錦を飾った時の詩を鑑賞下さい。 項羽の潔い死に対して杜牧は川を渡ってひとまず江東に落ち延び 再び力を蓄えて挑んだならば歴史はどうなったかわからないとうたいます。 それに対して宰相まで務めた優秀な政治家であった王 安石は いくら江東に落ち延び力を蓄えても、もはや歴史を変える事など 出来なかっただろうと 批判的な目で見ています。 題烏江亭 烏江亭に題す 晩唐 杜牧 勝敗兵家事不期 勝敗は兵家も事 期せず 包羞忍恥是男児 羞を包み恥を忍ぶは是れ男児 江東子弟多才俊 江東の子弟 才俊多し 捲土重来未可知 捲土重来 未だ知るべからず 勝敗の行方は、軍人だって予測がつかない。 恥を包み、恥を忍んで、再起を図ってこそ真の男子といえよう。 項羽の本拠である江東には優れた子弟が多いいから、 力を蓄え、地を巻く様な勢いで、重ねて攻めのぼったなら、 その結果は分からない。 和題烏江亭 烏江亭に題すに和す 北宋 王 安石 百戦疲労壮士衰 百戦疲労し壮士衰しむ 中原一敗勢難廻 中原一敗 勢い廻(めぐらし)難し 江東子弟今雖在 江東の子弟 今在りと雖(いえど)も 肯与君王巻土来 肯えて君王の与(ため)に土を巻いて来たらんや 連戦に疲れ果て兵士たちは悲しみに沈んでいる。 中原での敗戦はもはや取り返し難い。 いくら優秀な江東の子弟があるといえども、 もはや君王の為に巻き返すなどするだろうか。 大風歌 大風(たいふう)の歌 高祖(劉邦) 大風起兮雲飛揚 大風起こりて雲飛揚す 威加海内兮帰故郷 威 海内(かいだい)に加わりて故郷に帰る 安得猛士兮守四方 安(いずく)にか猛士を得て四方を守らしめん 激しい風に雲が吹き上げられる。 私の威勢は国中に及び、今懐かしい故郷に帰ってきた。 これからは、武勇に優れた者を探し出し、国を守らせよう。 秦の始皇帝没後、大風に煽られるように各地で反乱が起こり 沢山の勇者が排出した。 その中、最後まで戦に勝ち残り、今ようやく故郷に帰ってきた。 さてこれからどのように国を守っていこうか・・・ この後、劉邦の打ち立てた漢王朝は約400年続きます。 題烏江亭 七言絶句 韻は「期」、「児」、「知」 和題烏江亭 七言絶句 韻は「衰」、「廻」、「来」 大風歌 雑言古詩 韻は「揚」、「郷」、「方」 |
NO.3
江南春 晩唐 杜牧 千里鶯啼緑映紅 千里 鶯 啼いて緑 紅に映ず 水村山郭酒旗風 水村山郭 酒旗の風 南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺(しひゃくはっしんじ) 多少楼台煙雨中 多少の楼台 煙雨の中(うち) 見渡す限り広々と連なる平野のあちこちで鶯が鳴き、 木々の緑が紅(くれない)の花に照り映えている。 水辺の村や山沿いの村では酒屋の旗が春風になびいている。 一方、古都には、南朝時代の寺院が沢山立ち並び、 その楼台が煙る春雨の中にかすんで見える。 江南とは揚子江下流の地域の南岸をいい、現在の浙江、安徽、江蘇省の 揚子江以南の地を指します。川や湖沼が多い。 南北朝対立時代南朝の都が金陵(現在の南京市)に置かれていた。 第一句で陽春の江南地方の豊かな情景が目と耳で見事にとらえている。 第二句で少し近くの景色の中に酒屋を詠うことにより 人間の営みを表している。 自然と人間の営みを牧歌的に描いている前半である。 第三句では一転してこの地に二百有余年以前に都をおいていた南朝の ことを思い出し、結句では、今に残る当時の楼台が春雨に煙っている 様子が詠われている。 前半と後半が違う情景を詠っているが、明と暗が繰り返す歴史を 踏みながら、明るい農村の風景と懐古のムードとが一体になって 江南地方の春の情景を描き出している。 七言絶句 韻は 紅、風、中 |
NO.4
梅花 北宋 王 安石
牆角数枝梅 牆角(しょうかく) 数枝の梅(うめ) 凌寒独自開 寒を凌いで独自に開く 遙知不是雪 遙に知る 是れ雪ならざるを 為有暗香来 暗香(あんこう)の有りて来たるが為なり 垣根の隅の梅の木の数本の枝が、 寒さをついて花を咲かせた。 遠くからでもその白い花が雪でないとわかるのは、 ほのかな香りが漂ってくるからだ。 林逋(北宋)の「山園小梅」と並び称せられる梅の詩の傑作。 20文字の短い詩の中で梅を表すに、余計な事は言わないで只、 雪にも見間違う花の白さと、ほのかに漂う香りに絞る事によって見事に 表現している。そして、場所が垣根の隅なのも人知れずひっそり咲く梅の花の孤高さを 印象づけている。 暗香 咲いている所はわからないが、ほのかに漂って来る香り 五言絶句 韻 梅、開、来 |
NO.5
春暁 盛唐 孟浩然
春眠不覚暁 春眠 暁(あかつき)を覚えず 処処聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く 夜来風雨声 夜来 風雨の声 花落知多少 花落つること知んぬ多少ぞ 春の眠りは心地よく、夜が明けるのも気がつかぬほど。 うとうとしていると、あちらこちらから小鳥のさえずりが聞こえてくる。 そういえば、ゆうべは雨風の音が激しかった。 今朝の庭は、花がどれほど散ったことだろう。 朝の日差しと鳥の声から、詩人は昨夜を回想する。 昨夜の風雨を述べたことにより、今朝の情景がいっそう引き立つ。 昨夜の激しい風雨を思い出すことにより、今朝の庭の、花びらの散乱を想像する。 前半の二句の「明」から、第三句の風雨の回想へと「暗」転し、 庭に散った花びらの「明」で結ぶ。 起承転結の構成も見事です。 なお第四句の「多少」はこの場合「どのくらい」という疑問詞。 疑問詞の上にある「知」は疑問の意味を強めて、 「いったい・・・かしら」という気持ちを表します。 五言絶句 韻は暁、鳥、小です。 |
NO.6
田園楽 盛唐 王維
桃紅復含宿雨 桃は紅にして 復(また)宿雨を含み 柳緑更帯春煙 柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ。 花落家僮未掃 花落ちて 家僮(かどう)未だ掃わず 鶯啼山客猶眠 鶯 啼いて 山客(さんかく) 猶お眠る。 桃の花は紅に咲き、昨夜来の雨を含んで一層鮮やかな色を見せ、 緑の柳は、春の霞につつまれている。 花が、庭先に散り敷いても、召使いはまだ掃除もしない。 鶯が盛んに囀っているのに、山荘住まいの人はまだ眠っている。 通常の五言や七言の形を用いず六言詩。単調なリズムが春ののどかさを 表すのに役立っている。 山客とは詩人自身のことか。のどかな春の一日を楽しむ詩人気持ちが 伝わってくる閑適の詩です。 桃の紅に対して柳の緑、宿雨に対して春煙。 花に対して鶯、家僮に対して山客が対語。 前半の一句、二句は彩り華やかな春の景色をきれいな対句で詠い、 後半は人物が、春の景色に溶けこんでおり、ここも対句になっています。 召使いまで主人の意をくんで、庭を自然のままにしておく。 前回の「春暁」の第四句をにつながっていきます。 まるで一幅の絵を見るよう。 六言絶句 韻は 煙、眠です。 |
NO.7
春夜 北宋 蘇軾
春宵一刻直千金 春宵一刻直(あたい)千金 花有清香月有陰 花に清香有り 月に陰有り 歌管楼台声細細 歌管楼台(かかんろうだい) 声 細細(さいさい) 鞦韆院落夜沈沈 鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく) 夜 沈沈(ちんちん) 春の宵は、ひとときが千金に値するほど。 清らかな香りが花から漂って来て、月は朧にかすんでいる。 楼台(たかどの)の歌声や、管弦の音は宴も果て、今はかすかに聞こえるだけ。 静かな中庭にはひっそりとブランコがぶら下がり、夜は深々と更けていく。 御殿の春の宵を詠った名句。 起句、承句でのどかではあるが、華やぎと共に艶めかしい春の宵を詠う。 そして転句によって華やかな宴も終わり、歓楽の後の静寂 が訪れようとしている事を 暗示し最後に、人気のない中庭にぽつんとぶら下がっているブランコが、 更けていく夜の静けさを象徴している。 ブランコによって、昼間宮女たちがにぎやかに戯れていたことを連想し、 よりいっそう夜の静けさを感じさせます。 七言絶句 韻は1句、2句、4句の金、陰、沈です。 鞦韆 ぶらんこ 院落 屋敷の中庭 |
NO.8 送杜十四之江南 盛唐 孟浩然 杜十四の江南に之(ゆ)くを送る 荊呉相接水為郷 荊呉(けいご)相(あい)接して水を郷と為す 君去春江正淼茫 君去りて春江 正(まさ)に淼茫(びょうぼう) 日暮弧舟何処泊 日暮 弧舟 何れの処にか泊(はく)する 天涯一望断人腸 天涯一望 人(ひと)の腸(はらわた)を断つ ここ荊の国と君の行く呉の国は、続きあって水郷地帯を為している。 君が行ってしまって、春の長江は今しも水量豊かに、限りなく広がっている。 夕暮れになり、一人去っていく君の乗る小舟はどこに泊まるのであろうか。 空の彼方をじっと眺めやると、私のはらわたは悲しみにちぎれるばかりだ。 限りなく広がる水の風景。 遠くに目をやると友人の乗った舟がポツンと浮かんで去っていく。 今晩、一人どこに泊まるのであろうか。 見送る詩人の空虚感、去りゆく友人の心細さ・・・ 空の彼方を見ていると、 それらがないまぜになり、はらわたがちぎれるばかりの悲しみにおそわれる。 水郷地帯の広大な水と空の光景の中に、 親しい友人との別れを詩情豊かに詠いあげている。 七言絶句 韻は郷、茫、腸 淼茫(びょうぼう) 水がはてしもなく広がっていることの形容 天涯 はるか空の果て |
NO.9
浪淘沙令 南唐 李煜
廉外雨潺潺 春意蘭珊 羅衾不耐五更寒 夢裡不知身是客 一?貪歓 独自莫凭闌 無限江山 別時容易見時難 流水落花帰去也 天上 人間 廉外(れんがい)雨 潺潺(せんせん) 春意 蘭珊(らんさん)たり 羅衾(らきん)は耐えず 五更の寒きに 夢裡(むり)に身は是(こ)れ 客(かく)なるを知らずして 一?(いっしょう)歓(かん)を貪(むさぼ)る 独(ひとり)自(みずか)ら 闌(おばしま)に凭(よ)る莫(なか)れ 限りなき江山 別るる時は容易にして 見(まみ)ゆる時は難(かた)し 流水 落花 帰り去(ゆ)くなり 天上(てんじょう) 人間(じんかん) 簾の外、雨がシトシトと降り、 春は移ろって行く。 薄絹のしとねは、夜明けの寒さに耐えられなかった。 ついさっきまで、夢の中で、囚われの身であることを忘れ、 つかの間の楽しみをむさぼっていたものを 一人欄干に寄り添って見渡すのはやめよう。 故郷との間には限りない川や山が隔て、より一層望郷の念が悲しみを誘う。 ひとの世では別れるのは簡単だが、二度と会うことは難しい 水は流れ、花びらは散り、それらとともに春は去りゆく 天上と人の世ほど隔たった、遠い彼方へ・・・ 国を滅ぼしてしまった南唐の君主 李煜が敵国に幽閉された後、 華やかし日々を思い出し、又現在の身の上に思いをはせて・・・ 前半は春の夜のつかの間の夢の中で、華やかな昔の日々を 取り戻したことを詠い、後半は夢が覚めた後の悲しみを詠う。 国を滅ぼした恨みや悲しみが言外ににじみ出て何ともやるせない。 潺 雨の降る様 蘭珊 盛りを過ぎて衰える様 一? しばしの間 小令<短編の詞> 押韻 潺、珊、寒、歓、闌、山、難、間 |
NO.10 夏意 北宋 蘇 舜欽 別院深深夏簟清 別院 深深として 夏簟(かてん)清く 石榴開遍透簾明 石榴 開くこと遍(あまね)く 簾(れん)を透(す)かして明らかなり 樹陰満地日当午 樹陰 地(ち)に満ちて 日 午(ご)に当たり 夢覚流鶯時一声 夢覚めて 流鶯 時に一声(いっせい) 離れの庭先は、ひっそりと静まり、そこに敷かれた竹むしろが涼しい。 ザクロの花が一面に咲き、紅の色は簾(すだれ)を通してもあざやかだ。 木々の陰が庭いっぱいに広がり、夏の日はいまや真昼時 うたた寝の夢から目覚めると、枝から枝へ飛んでいた鶯が、ちょうど一声啼いた。 初夏の午後。 物音一つしない離れ、涼しげな寝ござに横になり、眺めるともなくザクロの花を 見ているうち、 いつの間にか寝入ってしまった。 そしてふと目覚めるとちょうど鶯が一声啼いた。 あるいは、鶯の鳴き声で目が覚めたのかも・・・ 唐詩とはひと味違う上品で洗練された夏の詩です。 |
NO.11 山亭夏日 晩唐 高駢 緑樹陰濃夏日長 緑樹 陰濃(こま)やかにして夏日(かじつ)長し 楼台倒影入池塘 楼台 影を倒(さかしま)にして池塘(ちとう)に入る 水晶簾動微風起 水晶の簾(すだれ)動いて微風起こり 一架薔薇満院香 一架の薔薇(しょうび) 満院香(かんば)し 緑の木々が濃い陰を落として、夏の暑い日差しはいつまでも続く。 高殿はその影を逆さまにして池の水に映っている。 そのとき、ふと、水晶の簾が揺れ、そよ風が吹き、 棚一面に咲いたばらの花の香りが庭一面に漂ってきた。 前半では夏の暑さを印象づける。 ギラギラと照る太陽の下、木々は黒々とした陰を作り、 風がそよとも吹かぬ鏡のような水面に楼台の影が映っている。 物がじっとして動かぬ場面を描いて、暑さを強く訴える。 するとそのとき、水晶の簾がさらさらと音を立てて揺れ、 一陣の涼風が吹いてきた。 と同時に、あたり一面に薔薇の香りが広がった。 前半の暑さの表現との対比により、後半の清涼感が際だっている。 特に転句の表現がおもしろい。 普通は、風が吹いて簾が動くと表現するけど、ここでは 水晶の簾がさらさらと動き、それから風を肌に感じる・・と詠っている。 |
NO.12 端陽相州道中 清 張問陶 杏子桜桃次第円 杏子(きょうし)桜桃(おうとう) 次第に円(まどか)なり 炎涼無定麦秋天 炎涼定(さだ)まること無し 麦秋(ばくしゅう)の天(てん) 馬蹄歩歩来時路 馬蹄(ばてい)歩歩(ほほ) 来時の路 照眼榴花又一年 眼を照らす榴花 又一年 杏(あんず)、さくらんぼが、順々に円く熟し、 暑かったと思えば、急に寒くなったりときまぐれな麦秋の時節 馬の背に揺られて、一歩一歩 来た時の路を帰っていく。 ひときわ鮮やかに目に映るザクロの花、ああ、又一年が過ぎ去った。 科挙の試験は三月に行われ、結果は月末に発表になるそうです。 落第した作者は初夏の頃、馬の背に揺られながら故郷へ帰っていく。 「馬蹄歩歩」とか「又一年」の句に作者のやるせない気持ちが表れています。 しかし合格した時は大変なもので、下記の詩は科挙に合格し、 そのうれしい気持ちを臆面もなく詠っています。 登科後 中唐 孟 郊 昔日齷齪不足誇 昔日の齷齪(あくせく)誇るに足らず 今朝放蕩思無涯 今朝 放蕩として思(おもい)涯(はて)なし 春風得意馬蹄疾 春風 意を得て馬蹄疾(はや)し 一日看尽長安花 一日 看尽(みつ)くす長安の花 科挙の合格者は発表の当日、馬に乗ってどのような富豪の家にも入り込んで 花を看ても良い事になっていた。 というのも、当時の貴族たちは金にあかせてボタンの花を競っていたので。 馬蹄疾と馬蹄歩歩はそれぞれの気持ちを言い得て妙です。 |
NO.13 山中与幽人対酌 盛唐 李白 両人対酌山花開 両人(りょうにん)対酌して 山花 開く 一杯一杯復一杯 一杯 一杯 また 一杯 我酔欲眠卿且去 我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ) 且(しばらく)去れ 明朝有意抱琴来 明朝 意有らば 琴を抱いて来たれ 七言絶句 韻 開、杯、来 幽人 俗世間をさけて静かに暮らしている人 卿 親しい間での呼び名 山の花が咲いている中、私は幽人と二人向き合って酒を酌み交わす。 一杯、一杯、もう一杯。 わしはもう酔って眠くなった、君すまないがちょっと帰ってくれ。 明日の朝、気が向いたら、琴を抱えて又来ておくれ。 第二句は絶句の形式を破る表現だが、気の合った者同士が差しつ差されつの様子を 詠うものとして、ぴったりしたものになっている。 第三句、四句は陶淵明伝の故事に基づいているが、 李白独自の詩の世界に取り込み、同化している。 全体に李白の天衣無縫の雰囲気が出ていて何ともいえぬ良い詩だ。 |
NO.14 月下独酌 盛唐 李白 花間一壺酒 花間 一壺の酒 独酌無相親 独(ひと)り酌(く)んで相親しむなし 挙杯邀明月 杯を挙げて明月を邀(むか)え 対影成三人 影に対して三人と成る 月既不解飲 月 既(すで)に飲むを解せず 影徒随我身 影 徒(いたず)らに我が身に随う 暫伴月将影 暫(しばら)く月と影とを伴(ともな)いて 行楽須及春 行楽 須(すべか)らく春に及(およぶ)べし 我歌月徘徊 我 歌えば 月 徘徊し 我舞影凌乱 我 舞えば 影 凌乱す 醒時同交歓 醒時(せいじ)は同(とも)に交歓し 酔後各分散 酔後(すいご)は各(おの)おの分散す 永結無情遊 永く無情の遊を結び 相期□雲漢 相(あい)期(き)して雲漢(うんかん)はるかなり □ 「しんにゅう」に「貌」でバクとよみ、「はるかな」という意 味です。 春の夜、咲きにおう花の中で一壺の酒を抱えて、一人酒を飲んでいるが、 語り合う親しい人とてもない。 仕方なく、杯を高く挙げて、昇ってきた明月を招き寄せ、これでもって、 私の影法師とあわせて、三人となった。 月はもともと酒を飲む事は出来ないし、影は影でいたずらに私の身につきまとうだけ。 だが、まあしばらくの間は、この月と影法師とをともにして、 春が過ぎ去ってしまわないうちに楽しむことにしよう。 私が歌うと、月は天上をさまよい、私が舞えば、影は地上で乱れ動く。 こうして醒めている時は、我ら三人はこもごも喜びを分かち合い、 酔って眠ってしまうと、それぞれ別れ別れになってしまう。 そこで私は君たち二人といつまでも、しがらみのないこのような交友を 結び、 やがてはるか遠い天の川で会う約束したいのだ。 磊落且つ自由奔放な気質故に人間社会、官僚社会から疎外された詩人が 話す相手もなく、 一人静かに飲んでいる。 そしていつの間にか月と我が影とを仲間にして3人で酒を楽しむ。 もともと人間味のない月と影なのだから飲む時には楽しみ、酔って眠ってしまえば それぞれに別れてしまう。 また利害関係のない無情のつきあいだからこそ永くつきあう事が出来る。 そして最後に、次ははるかな天の川で会いましょう・・・と結ぶ。 疎外感の中にペーソスとユーモアの味を持ち込み、 安く墜ちることなく見事に詠っています。 5言古詩 韻 親、人、身、春、乱、散、漢 雲漢 天の川 |
NO.15 夏昼偶作 中唐 柳 宗元 南州溽暑酔如酒 南州の溽暑(じょくしょ) 酔うて酒の如し 隠几熟眠開北? 几(き)に隠(よ)りて 熟眠し 北?(ほくゆう)を開く 日午独覚無余声 日午(にちご) 独り覚めて 余声(よせい)無し 山童隔竹敲茶臼 山童 竹を隔(へだ)てて 茶臼(ちゃうす)を敲(たた)く 南の国の蒸し暑さは、酒に酔ったようだ。 北側の窓を開け放ち、肘掛けにもたれてぐっすり眠ってしまった。 昼頃、ひとり目覚めると、辺りはすっかり静まりかえっている。 その静けさの中、竹林の向こうで、童が茶の葉を臼でつく音だけが 物憂げに聞こえてくる。 南州 現在の柳州(広西壮族自治区)、桂林の西南に当たる内陸部。 溽暑 じょくしょ 蒸し暑さ 北? ほくゆう 北側にある窓 ゆう [片へんに戸の下に甫] 窓の意味です。 南国の猛烈な蒸し暑さの中、思わず熟睡して、満ち足りた気持ちで 目覚めれば、あたりは死んだように静まりかえっている。 ふと、竹林の向こうから子供達がお茶の葉をひく音が響いてくる。 茶をひく単調な音によってなお一層、静けさが深まる。 まったく何も聞こえないよりは、何かの音がある方がより静けさを感じる事が多々あります。 「静かさや 岩にしみいる 蝉の声」もそうです。 蝉の声が聞こえるからこそあたりの静けさが伝わってきます。 今回はこのようにうだる様な蒸し暑さの中に静寂と清涼感を見つけた詩 です。 作者は若くして政治の中枢に参画したが、政争に敗れ、永州の司馬に左遷され、 次いで柳州の刺史(州の長官)に左遷され、その地で没す。 七言絶句 韻 酒、?、臼 |
NO.16 秋風引 中唐 劉 禹錫 何処秋風至 何れの処(ところ)よりか秋風 至る。 簫簫送雁群 簫簫(しょうしょう)として雁群を送る。 朝来入庭樹 朝来(ちょうらい) 庭樹に入るを 孤客最先聞 孤客 最も先(さき)んじて聞く。 どこからか秋風が吹いてきて しょうしょうとして雁の群を送ってきた。 秋風は朝がた、庭の木々の間をわたって枝をざわつかせ、 孤独な旅人である私が、いち早くその音を聞きつけた。 地方の官僚として永い年月を送り都に帰れない作者は自分を孤客として感じ、 又昔から手紙を運ぶ鳥として、望郷の念を抱かせる雁を見る事により、 より一層孤独感を感じている。 雁が渡るという大きな風景と、旅館の庭先の木々に吹き付ける風を感じる ひとりの自分・・「群」の字が「孤」の字と照応してより強く哀れさを感じさせる。 五言絶句 韻 群、聞 引 「行」・「歌」・「曲」・「吟」などと同様の詩題で「歌」という意味。 |
NO.17 秋海棠(しゅうかいどう) 清 袁 枚 小朶嬌紅窈窕姿 小朶(しょうだ)の嬌紅(きょうこう) 窈窕(ようちょう)たる姿 独含秋気発花遅 独(ひと)り秋気を含んで 花の発(ひら)くこと遅し 暗中自有清香在 暗中 自(おのず)から清香の在(あ)る有(あ)り 不是幽人不得知 是れ幽人ならざれば知るを得ず 小さな枝に咲く愛らしい赤い花は、しとやかで美しい姿をしている。 秋の気を吸いこみ、ひとり他の花に遅れて咲く。 それとはわからないが、清らかな香りがある。 世捨て人でなければ、気がつかないだろう。 前半は秋海棠の姿形と秋に咲く事を歌い、後半は秋海棠の風情を堪能するには 私みたいに世捨て人にならなければ・・と詩人は誇らしげに詠っています。 七言絶句 韻 姿、遅、知 |
NO.18 社日 晩唐 王 駕 鵝湖山下稲粱肥 鵝湖山(がこさん)下 稲粱(とうりょう)肥え 豚穽鶏塒半掩扉 豚穽(とんせい)鶏塒(けいじ)半ば扉を掩う 桑柘影斜秋社散 桑柘(そうしゃ)影を斜にして 秋社散じ 家家扶得酔人帰 家家(かか)酔人を扶(たす)け得て帰る 社日 鎮守のお祭り。この詩の場合は豊年を祝う秋祭りです。 七言絶句 韻 肥、扉、帰 鵝湖山のふもと、稲や粟は豊かに実り、 豚小屋や鶏小屋の戸は半開きになっている。 桑の木の影が傾く頃、秋祭りは終わり、 どの家でも酔っぱらいを支えて帰っていく。 村の鎮守の豊年祭り。 豚小屋や鶏小屋の主は祭りのご馳走に化けた・・・ そして日が傾く頃、秋祭りは終わり、 どの家でも歩けない程酔っぱらった男を助けて家に帰る始末・・・ のどかな田舎の秋祭りの一日。 日本でも、昔は何処にでもあった風景です。 |
NO.19 友人を送る 盛唐 李白 青山横北郭 青山 北郭に横たわり 白水遶東城 白水 東城を遶(めぐ)る 此地一為別 此の地 一たび別れを為(な)し 孤蓬万里征 孤蓬 万里に征(ゆ)く 浮雲遊子意 浮雲(ふうん) 遊子(ゆうし)の意 落日故人情 落日 故人(こじん)の情 揮手自茲去 手を揮(ふる)って茲(ここ)より去れば 蕭蕭班馬鳴 蕭蕭(しょうしょう)として班馬(はんば)鳴く 青々とした山並みが郭(まち)の北側に横たわり、 白く照り輝く川は、城(まち)の東側をめぐって流れている。 君は今、この地に別れを告げ、 風にちぎれた根無し草のように、万里の彼方をさすらうのだ。 空に浮かぶ雲は、旅人である君の心、 落ち行く夕日は、友である私の気持ちをあらわすようだ。 手を振って、ここから去っていこうとするとき、 別れ行く馬も、寂しそうにいなないている。 五言律詩 律詩 8句から成り、2句づつで聯を為し、首聯、頷聯、頸聯、尾聯と言います。 韻は五言の場合、2,4,6,8句で、七言の場合1,2,4,6,8句で 踏みます。 又通常は頷聯、頸聯で対句になります。 韻 城、征、情、鳴 対句 この詩では首聯、頷聯、頸聯で対句になっています。 首聯では「青山」-「白水」、「横たわる」-「遶る」、「北郭」-「東城」 頸聯では、「浮雲」-「落日」、「遊子」-「故人」、「意」-「情」 首聯の「青山」と「白水」の句は、極めて整った対句をなし、 色彩の対照で鮮明さを強調しているとともに、立体感のある構成となっている。 そして、頷聯では友人の容易ならざる旅が暗示されている。 首聯が整った対句の場合次の頷聯でも整った対句にすると、 単調になるのでここでは緩い対句にして、又次の頸聯で整った対句にしています。 頸聯は、実景に託された旅立つ者と見送る者の心情です。 送る李白、送られる友人の心情が、短い言葉で表現され、心を打ちます。 最後は別れの場面、馬まで悲しげに鳴き、別れを惜しみ、無限の余韻があります。 |
NO.20 秋夜寄丘二十二員外 中唐 韋 応物 懐君属秋夜 君を懐(おも)うは秋夜に属し 散歩詠涼天 散歩して涼天に詠ず 山空松子落 山空(むな)しうして松子落つ 幽人応未眠 幽人 応(まさ)に未(いま)だ眠らざるべし 五言絶句 韻 天、眠 丘二十二員外 丘は作者の親友の丘丹のことで、二十二は排行。 排行とは一門の同世代の者、兄弟・従兄弟などを 性別、年齢順に並べた順序。 員外は員外郎の略で役職の一つ。 松子 松かさ 君の事を思っているこの静かな秋の夜。 そぞろ歩きをしながら、涼しく広がる空に向かって詩を吟じている。 山の中には人気がなく、松かさが落ちるかすかな音がする。 ひっそり住む君も、きっと未だ眠っていないだろう。 この詩の眼目はなんと言っても転句の 「山空松子落」です。 以前の 「夏昼偶作」ではお茶を搗く音がある故、夏の午後の静けさが 表現されていたように、まったく何も音がないよりは、何かの音がある方がより 静けさを感じます。 この詩の場合秋の夜更け、松かさの落ちるかすかなカサッという音に 山全体の静寂が感じられます。 「静」の中の「微動」。見事な詩人の感性です。 そして友も未だ眠らないで秋の夜更け、私と同じように物思いに ふけっているのだろうと思いを馳せます。 |
NO.21 空き地にはセイタカアワダチソウの黄色い花が目立っています。 しかしその根本を見ますと紫苑やオミナエシ、名残の露草そして いかずち草やえのころ草と言ったいわゆる雑草たちも盛んに背伸びをしています。 そうそう、この季節には山道などに鮮やかな黄色に咲く石蕗も忘れられません。 一時、空き地はセイタカアワダチソウ一色になり席巻れるかと思いましたが、 自然のバランスは見事でそうはなりませんでした。 今回の漢詩、私が漢詩に興味を持つきっかけになった李白の傑作です。13/10/26(金) 静夜思 盛唐 李白 牀前看月光 牀前(しょうぜん)に月光を看(み)る 疑是地上霜 疑(うたが)うらくは是(こ)れ地上の霜かと 挙頭望山月 頭(こうべ)を挙(あ)げて山月を望み 低頭思故郷 頭を低(た)れて故郷を思う 静かな夜の思い 寝台の前に白く差し込んだ月の光を見て、 一瞬、地上に降った霜かと思ったほどだ。 頭を上げて外を見ると、山の端に皓々と月が輝いている。 頭は知らず知らず垂れて、故郷の事を偲ぶのである。 五言絶句 押韻 光、霜、郷 転句と結句が対句になっています。 李白31歳、旅先での詩。 旅先での秋の静かな夜、眠られぬままにふと見ると月の光が寝台の前に差し込んでいて、 一瞬、地上に降った霜かと疑うほど白く輝いている。 まず視線は近くの月の光を見る。 そして自然と視線は上がり窓の外を見ると、黒く影になった山の端に皓々と月が輝いている。 その月を眺めていると、故郷の事が思い起こされ、 頭は知らず知らずうなだれて、望郷の念にひたる。 結句は一番近い自分の心の中にある、はるかな故郷に思いを馳せる。 目前の月の光から、山の端にかかる月へと向かい、又月から故郷へと思いが及ぶ。 視線と心の動きが自然で、月の光に照らされている作者の姿がありありと現れ、 郷愁の思いが深く漂う。 平易な字句を用いながら印象深い詩になっています。 |
NO.22 峨眉山月(がびさんげつ)の歌 盛唐 李白 峨眉山月半輪秋 峨眉山月(がびさんげつ) 半輪の秋 影入平羌江水流 影は平羌江水(へいきょうこうすい)に入って流る 夜発清渓向三峡 夜 清渓(せいけい)を発して三峡に向う 思君不見下渝州 君を思えども見えず 渝州(ゆしゅう)に下る 七言絶句 押韻 秋、流、州 峨眉山 四川省西部の名山。月の名所であると同時に、 中国仏教三大霊場の一つに数えられています。 平羌江 今の青衣江。峨眉山の東北の麓を流れ、 長江の支流、岷江(びんこう)に合流する。 清渓 峨眉山の東南、岷江沿岸の宿場の名。 三峡 四川省から湖北省にかけての長江の峡谷。 くとう峡、巫峡、西陵峡。 渝州 今の四川省重慶市。 清渓と三峡の間で清渓より約400キロの地点。 峨眉山上に半輪の月がかかった秋の夜、 月影は平羌江の水に映って流れさる。 夜中、私は清渓を船出して三峡に向かった。 あの美しい月をもっと見たいと思ったが、いつしか山の陰に隠れ、 見る事が出来ぬまま、舟は渝州まで下ってしまった。 李白、25歳頃。 蜀(四川省)の清渓を希望と不安を抱きながら船出をしたときの作品。 この詩の特徴はなんと言っても固有名詞を沢山読み込んでいる事。 たった28文字の中に五つの固有名詞が詠われています。 そしてそれらが詩の流れを損なわずと云うより、逆に独特の感じを与えている。 李白傑作中の傑作と言われています。 なお、結句に詠われる「君」とは誰を指すか。 直接的には月を指しつつ、思いを寄せている女性を思う・・・ロマンチックです。 峨眉山->蛾眉山 と置き換えてみますと女性のイメージが湧いてきます。 |
NO.23 楓橋夜泊 中唐 張 継 月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓漁火対愁眠 江楓漁火愁眠に対す 姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外(こそじょうがい)の寒山寺(かんざんじ) 夜半鐘声到客船 夜半の鐘声客船(かくせん)に到る 月が沈み、暗い夜空に烏が啼いて、霜の気が天に満ちわたる。 紅葉した川ぞいの楓と漁火(いさりび)が、 旅愁のまどろみのなかの私の目に映る。 そこへ、蘇州町はずれの寒山寺から、 夜半を告げる鐘の音が、旅を続けてきたこの船の中に響いてくる。 旅愁の名作。 月が沈んだ暗闇、冷え冷えとした夜気、悲しげな烏の鳴き声、 という色彩のない黒々とした世界。 そこに昼間見た楓の紅葉と今見ているちらちらと燃える漁り火が瞳に重なり合う。 黒々とした風景の中にかすかな赤が滲み出ます。 そして町はずれの寺から夜気をふるわせて響く鐘の音が、 旅の途中、容易に眠れないでいる身に、ひとしおの旅愁が感じられます。 楓橋 蘇州の郊外にある橋 霜満天 霜は天から降ってくるものと思われていた。 そして、地上に降りる前の霜の気が天に満ちわたっていて、 晩秋の冷え冷えした厳しい空気をあらわす。 愁眠 旅愁のため容易に寝付くことが出来ず、 少しまどろんだり目覚めたりする浅い眠り。 姑蘇城 蘇州の古名 |
NO.24 泊秦淮 秦淮に泊す 晩唐 杜牧 煙籠寒水月籠沙 煙は寒水を籠(こ)め 月は沙(すな)を籠む 夜泊秦淮近酒家 夜 秦淮(しんわい)に泊して酒家に近し 商女不知亡国恨 商女は知らず 亡国の恨み 隔江猶唱後庭花 江を隔てて猶(なお)唱(とな)う 後庭花(こうていか) 夕もやはさむざむとした川面にたちこめ、月の光は白々と砂を照らす。 この夜、秦淮河に船泊りしたのは酒楼の近く。 妓女達は、亡国の恨みの歌とも知らないで、 川の向こうで、今なお、「玉樹後庭花」の曲を歌ってさんざめいている。 七言絶句 押韻 沙 家 花 この詩の眼目は妓女達が亡国の哀しみがこもる歌とも知らないで 「玉樹後庭花」を唱いながらさんざめいているのを聞き、 或る種の感慨に耽る後半だけど、表現では起句が印象的です。 晩秋の夜、寒々とした水面にもやがたちこめ、月の光が白々と砂浜を照らしている。 「籠」と云う言葉を重ねて使うことにより、 そこだけを包み込んだようになり、情景を浮き出させていています。 後庭花 政治を省みず、詩歌管弦の遊びにうつつを抜かした為、 国を滅ぼした六朝最後の皇帝、陳の後主の作った、「玉樹後庭花」 のことです。後ろに記しておきます。 秦淮 六朝の都であった金陵(現在の南京)を流れている運河で、 秦代に作られました。両岸には妓楼が立ち並んでいたそうです。 玉樹後庭花(ぎょくじゅこうていか) 陳叔宝 麗宇芳林対高閣 麗宇 芳林 高閣に対し 新粧艶質本傾城 新粧の艶質は本より城を傾く 映戸凝嬌乍不進 戸に映り嬌(きょう)を凝らして乍(たちま)ち進まず 出帷含態笑相迎 帷(とばり)を出で態を含み 笑って相迎う 妖姫臉似花含露 妖姫の臉(かお)は花の露を含めるに似たり 玉樹流光照後庭 玉樹 流光 後庭を照らす 壮麗な宮殿は花咲く木立につつまれている。 化粧をしたばかりの美人は国を滅ぼすほどの美しさである。 戸に映った影は科(しな)を作り、立ち止まって前へ進まない。 やがて帷から出ると、媚びを含んで笑いながら出迎える。 その貌(かんばせ)は露を含んだ花のようである。 月の光は美しい木立を通して後宮の裏庭を照らしている。 |
NO.25 除夜作 盛唐 高適 旅館寒燈独不眠 旅館の寒燈に独り眠らず 客心何事転凄然 客心(かくしん) 何事ぞ 転(うたた)凄然(せいぜん)たる 故郷今夜思千里 故郷は今夜 千里を思う 霜鬢明朝又一年 霜鬢(そうびん) 明朝 又一年 七言絶句 押韻 眠 然 年 旅の宿のさみざむとした燈の下 一人眠られずにいると 旅愁はどうした事か、いよいよこみ上げて寂しさを増すばかり 今宵、故郷では、はるか離れた私の事を思っているだろう 白髪の増えた鬢、明日の朝になれば又一つ年を重ねるのだ。 故郷を遠く離れた旅先で大晦日となり眠られぬ時を過ごしていると、 旅愁がわき起こり、そして今までの人生が思い出されてきます。 寒燈、独、凄然、霜鬢 などの言葉が寒々とした雰囲気を醸し出しています。 後半の二句は対句です。 又、転句は、「故郷 今夜 千里を思う」と読んで「遠く離れた故郷を思う」と いう解釈もできます。 |
NO.26 左遷されながらも人生を楽しむ、是人生の達人そのもの。 羨ましい生き方です。 爪の垢でも煎じて飲みたい・・ 次回は、時代は勿論、生き方の先輩に当たる陶淵明の詩を紹介します。 香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁 中唐 白 居易 香炉峰下 新たに山居を卜(ぼく)し 草堂 初めて成り偶(たまたま)東壁に題す 香炉峰の麓に山住まいの地を定め 草堂が出来、気の向くままに東側の壁に詩を書き付ける 日高睡足猶慵起 日高く睡り足りて猶お起くるに慵(ものう)く 小閣重衾不怕寒 小閣に衾(しとね)を重ねて寒さを怕(おそ)れず 遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き 香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る 匡廬便是逃名地 匡廬(きょうろ)は便(すなわ)是れ名を逃るの地 司馬仍為送老官 司馬(しば)は仍(な)お老(おい)を送るの官為(た)り 心泰身寧是帰処 心泰(やすく)身寧(やす)きは是(こ)れ帰する処 故郷何独在長安 故郷 何(なん)ぞ独(ひとり)長安のみ在(あ)らんや 七言律詩 押韻 寒 看 官 安 対句 頷聯(三、四句) 頸聯(五、六句) 特に頷聯の対句は有名で、枕草子にも引用されています。 匡廬 江西省に在る名山廬山。 香炉峰はその北峰で形が香炉に似ている。 司馬 役職。当時は閑職となっていた。 山居を卜す土地の占いをして家を建てる場所を決める。 日は高く昇り、眠りも充分なのに、まだ起きるのが面倒だ。 小さな住まいではあるが、重ねた夜具にくるまっていると寒さなんか感じない。 遺愛寺から響いてくる鐘の音は、枕を傾けてじっと聞き、 香炉峰に残る雪は、簾を撥げて眺め入る。 廬山のあたりは俗世間の名利から逃れ住むのにはふさわしいところだし、 司馬という閑職は老人が余生を送るのに丁度良い。 心も身も安らかにすごせる所こそ、私の帰り着くところ。 故郷はなにも長安だけではないのだ。 作者が44歳の時、江州司馬として左遷させられ、二年後に草堂を建ててこの詩を作った。 前半は気に入った土地に草堂を建て、その喜びとくつろいだ気分が、 朝の目覚めの中に詠われています。 後半は、左遷の境遇に在っての自らの人生観を述べる。 その中で、心身とも安らかならば、何処だって故郷の様ではないかと言い切る。 しかし反面、その心の中では、左遷された事の悔しさや、 故郷の長安のことが忘れられない事も伺う事が出来る。 事実、この後長安に帰り現代で云えば法務大臣に相当する地位まで栄達しています。 |
NO.27 陪諸貴公子丈八溝携妓納涼 晩際遇雨 盛唐 杜甫 諸貴公子の丈八溝に妓(ぎ)を携えて納涼するに陪し 晩際 雨に遇う 落日放船好 落日 船を放つに好しく 軽風生浪遅 軽風 浪の生じること遅し 竹深留客処 竹は深し 客を留むる処 荷浄納涼時 荷(はす)は浄(きよ)し 涼を納るるの時 公子調氷水 公子は氷水を調(ととの)え 佳人雪藕糸 佳人は藕糸(ぐうし)を雪(ぬぐ)う 片雲頭上黒 片雲 頭上に黒し 応是雨催詩 応に是れ雨の詩を催すなるべし 丈八溝 長安の都にあった大きなお堀。 雪藕糸 藕糸(ぐうし)を雪(ぬぐ)う 藕糸 蓮根を切ったときなどに出る細い糸 五言律詩 押韻 遅、時、糸、詩 対句 首聯(一、二句) 頷聯(三、四句) 頸聯(五、六句) 日の落ちる頃は船遊びをするのに良く 軽やかな風に波はゆっくり打ち寄せる。 客をもてなすのは、竹の多い所 ハスの花は清らかに咲いて、まさに納涼の時。 貴公子は自ら氷水を作り 美人は蓮根の皮をむき、糸を拭う いつの間にか頭上には黒いちぎれ雲 雨が、詩を作れとせきたてにやって来た 貴公子達が綺麗どころを伴って、丈八溝に船を浮かべて納涼の宴を開いたのに同席し、 雨にあったときの詩。 前半は周りの景色、そして後半は宴もたけなわの頃急に雨雲が出て来た様を詠っています。 その雨雲が早く詩を作れと催促する・・と結んでいるのが面白い。 Going Rowing In order to go rowing in our boat We have waited for the setting of the sun A slight breeze ripples the blue surface and stirs the water lilies Along the banks,where the cherry blossoms fall like rain We catch a glimps of strolling lovers My courteous friends prepare cooling drinks The beautiful young girl breathe the perfume of the white glacine I watch a cloud sailing over us Soon,the rain And I shall compose some verse On the inconstancy of happiness |
NO.28 金陵図 晩唐 葦 荘 江雨霏霏江草斉 江雨霏霏(ひひ)として 江草斉(ひと)し 六朝如夢鳥空啼 六朝(りくちょう)夢の如く 鳥空(むな)しく啼く 無情最是台城柳 無情は最も是(これ)台城の柳 依旧煙籠十里堤 旧に依りて 煙は籠む十里堤 金陵 今の南京市。六朝時代に都が置かれていた。 七言絶句 押韻 斉、啼、堤 長江に春雨が細やかに降り、川辺の草は生い茂っている。 六朝時代の栄華は今では遠い昔の夢のようで、ただ鳥がむなしく鳴くばかり。 最も無情なものは宮城の柳だ。 昔のままに、雨に煙る十里の堤をおおっている。 唐の滅亡に遭遇した作者が、六朝の都が置かれていた金陵の台城付近を描いた絵を見て その印象を詠んだ詩。 六朝王朝の栄華と滅亡が詠われています。 中国の詩では草の生い茂るのは悲哀のイメージで使われます。 日本でもそうですよね。 少し意味は違うかもしれませんが、「夏草や強者どもが・・」等と詠われています。 転句の「無情最是台城柳」は、もし柳に情があるならば、この荒廃した都で、 昔と同じように緑に茂る事は出来ないはずなのに、春になると昔のままに芽を吹いて 緑に茂る・・・と訴えます。 秋の哀しみとは違い、春雨、生い茂る草、鳥の鳴き声、柳・・と春の悲哀には何となく 甘さも漂います。 |
NO.29 送宇文六 盛唐 常建 宇文六を送る 花映楊柳漢水清 花は楊柳に映じて漢水(かんすい) 清く 微風林裏一枝軽 微風 林裏に一枝軽(かろ)し 即今江北還如此 即今 江北 還(また)此(かく)の如からん 愁殺江南離別情 愁殺す 江南 離別の情 七言絶句 押韻 清、軽、情 漢水 湖北省を縦断して、武漢で揚子江に合流する大河 愁殺 殺は程度の大きい事をあらわす語。深い憂いに陥る。 紅の花は、芽を吹いたばかりのしだれ柳の新緑に映え、漢水は清らかに流れている。 林の中ではそよ風が吹き、木々の枝が軽やかに揺れる。 今、江北にも同じようなのどかな春景色が訪れていよう。 だけど、江南では私が、離別の情に堪えかねて哀しみにうち沈んでいる。 友人である宇文六(宇文は姓、六は排行、排行に付いては 「秋夜寄丘二十二員外」を見てください)が江北に向かって旅立つときの送別の詩。 起句、承句では明るい江南地方の早春の風景を描いています。 そして、貴方の行く江北にも又このような春の風景が広がっているでしょう。 畳みかけるように、一面春の景色に覆われている事を示し・・・ しかし、最ものどかに春めいているこの江南で私は貴方との別れの情に沈んでいる。 と、別れの情をことさら強調します。 別れには柳の枝を折って渡す風習があり、起句の楊柳は別れを暗示し、 友人との別れの情を春の情景の中で少しセンチメンタルに詠っています。 |
NO.30 時代は移り、季節は晩秋から冬に至り、同じ作者が、 すさまじい情景を詠った詩をお目にかけます。 塞下曲 北海陰風動地来 北海の陰風 地を動(ゆるが)して来たる。 明君祠上望龍堆 明君祠上 龍堆を望む。 髑髏皆是長城卒 髑髏(どくろ)は皆 是(これ)長城の卒 日暮沙場飛作灰 日暮 沙場 飛んで灰と作(な)る 前半略 そこかしこに散らばっている髑髏は皆、かって万里の長城を築きながら、 戦って死んだ兵士達だ。 暮れゆく砂漠の上を、骨は灰となって飛んで行く。 |
NO.31 黄鶴楼送孟浩然之広陵 盛唐 李白 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る 故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し 煙花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る 孤帆遠影碧空尽 孤帆の遠影 碧空に尽き 唯見長江天際流 唯(ただ)見る 長江の天際(てんさい)に流るるを 七言絶句 押韻 楼、州、流 我が友、孟浩然は黄鶴楼に別れを告げ、これを西にして、 春霞に花が咲き乱れる春三月、揚州へと下ってゆく。 ポツンとひとつ遠くに浮かんだ帆影はしだいに碧空へ吸い込まれるように消え失せ、 あとはただ長江がはるかな空の果てまでも流れていくばかりである。 春のさなか、孟浩然が武昌から揚州へと、揚子江を下る旅に出るのを、 作者が黄鶴楼で送別したときの詩。 楼の上から見ると敬愛する友人、孟浩然の乗った船が、長江の上をゆっくりと去っていく。 作者は友人との楽しかった日々を思い出しながらその帆影を目で追い続ける。 その孤帆は次第に小さくなり、ついには青空に消えてしまう。 この、船を見失う一瞬をとらえて深い別離の情を見事に表現しています。 それでも惜別の情は尽きなくて、果てしなく流れる長江をいつまでも眺めている。 詩中には愁いとか、哀しみと云った語句はないけど、 もっと大きな惜別の情の詩となっています。 黄鶴楼 湖北省武漢市武昌の西、揚子江を見下ろす高台のあった楼。 名前については面白い由来があります。 昔々、或る酒店の壁に仙人が橘の皮で黄色の鶴を描いたところ、 その鶴が客の歌に合わせて踊り出すので大評判になり店は大繁盛しました。 その後、再び仙人が現れ笛を吹いて壁画の鶴を呼びだし、 その背に乗って白雲と共に飛び去って行きました。 店は記念に楼を建てたと云われています。 孟浩然 李白の先輩に当たる高名な詩人。 かの有名な「春暁」 「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聴く・・」の作者です。 広陵 揚州(江蘇省)の古名 故人 日本では、亡くなった人の意味で使いますが、古くからの友人を意味します。 この詩では孟浩然を指しています。 |
NO.32 送元二使安西 盛唐 王維 元二の安西に使いするを送る 渭城朝雨?軽塵 渭城(いじょう)の朝雨 軽塵を?(うるお)す 客舎青青柳色新 客舎(かくしゃ)青青(せいせい) 柳色新たなり 勧君更尽一杯酒 君に勧(すす)む 更に尽くせ一杯の酒 西出陽関無故人 西のかた陽関を出づれば故人無からん 安西 甘粛省の西のはずれにあり、唐の時代前線の司令部が置かれていた。 渭城 都長安と渭水を挟んで、向かい側にある町、咸陽の別名。 当時、西域の方へ旅立つ人を、この町まで見送りにきて、宴席を張り、 お互い名残を惜しむ習慣があった。 この渭城の町、明け方に降った雨が昨日まで軽く飛び舞っていた土埃をしっとりと湿らせ、 宿屋の前の芽吹いたばかりの柳が、雨に洗われ、より一層青々と新鮮に見える。 今から旅立って行く元二君、さあもう一杯、酒を飲み乾したまえ。 西のかなた陽関を出たならば、一緒に杯を交わす友達はもう居ないのだから。 友人の元二(元は姓、二は排行)が遠い西の果て安西に旅立つのを送る詩。 前半の二句は芽吹いたばかりの柳の芽が、朝の雨に洗われ、 目にしみるように青々としたすがすがしい渭城の朝を詠う。 昨夜は渭城の宿屋で宴を張って別れを惜しみ、 一夜明けた、雨にしっとりと濡れた今朝、いよいよ別れ。 中国では別れに際して柳の枝を折って手渡す習慣があるが、 ここでも柳が印象的に詠われています。 後半は尽きない惜別の情を詠っている。 西の彼方へ行けば一緒に酒を飲む友達も居ないのだから「さあ、もう一杯飲みなさい」 とお酒を勧める。 「更に」の字が、昨夜は心ゆくまで酒を飲んで別れを惜しんだことを物語り、 友情の深さと 尽きぬ惜別の情が印象的です。 なお、長安から安西迄だと、ほぼ、日本列島ほどの距離になり、 この距離を馬と徒歩で行くのですから現代の別れとは重みが違います。 |
NO.33 和孔密州五絶 東欄梨花 北宋 蘇 軾 孔密州の五絶に和す 東欄の梨花 梨花淡泊柳深青 梨花(りか)は淡泊 柳は深青 柳絮飛時花満城 柳絮(りゅうじょ)飛ぶ時 花 城に満つ 惆悵東欄一株雪 惆悵(ちゅうちょう)す 東欄(とうらん)一株(いっしゅ)の雪 人生看得幾清明 人生 看(み)得るは幾(いく)清明(せいめい) 一株雪 雪のような白い花を咲かせている一本の梨の木 清明 24節気の一つで、春分から15日目を云い、今年は4月5日に当たります。 七言絶句 押韻 青、城、明 起句は句中対になっています。 梨の花は淡白く咲き、柳の葉は深緑色。 柳の絮が飛ぶこの時節、鮮やかな花は町中に咲き誇る。 思い出して胸が痛むのは東の欄干の傍らに雪のように咲いていた一株の梨の花。 残りの人生、これから幾回この様に 素晴らしい清明の風景を眺める事が出来るのだろう。 作者42歳の時の作。 密州知事の任期を終えて徐州の知事に転任し、 後任の孔密州知事より五言絶句を送られて、 それに和したもの。 前半の二句は梨の花の白、柳の葉の緑色、桃の花の赤色・・と春たけなわの 鮮やかな色彩に満ちた風景を詠います。 そして転句で、前任地で咲いていた白い梨の花を思い出して心を痛め、 この様な素晴らしい清明の風景をあと 幾回見る事が出来るのだろうかと感傷に沈みます。 現在でこそ、42歳は働き盛りですが、千年も昔の当時としては そろそろ残りの人生を考える歳だったのです。 鮮やかな風景の現在から転句で過去を思いだし、 そして結句で未来へと思いが行きます。 上品で余韻のある詩となっています。 |
NO.34 玉階怨(ぎょくかいえん) 南斉 謝 ? 夕殿下珠簾 夕殿(せきでん) 珠簾(しゅれん)を下し 流蛍飛復息 流蛍(りゅうけい) 飛んで復(ま)た息(いこ)う 長夜縫羅衣 長夜 羅衣(らい)を縫う 思君此何極 君を思こと 此(ここ)に何んぞ極まらん 五言古詩 押韻 息、極 夕暮れの殿中、下ろされている水晶の御簾(みす)ごしに、 蛍が飛んでは、又止まって休んでいるのが見える。 秋の夜長、一人薄絹の着物を縫っていると、 貴方を思う切なさは、極まるときがない。 蛍が印象的ですが、この蛍は、真夏の夜、群れ飛んでいる蛍ではなく、 秋の夜長、ふらふらと頼り無げに飛ぶ蛍です。 少し飛んでは物に止まって休む蛍を見るともなく見て、 眠れぬ秋の夜長を一人でポツンと薄絹の着物を縫いながら、 来ない人の事を思ってため息をつく寵愛を失った宮女の哀しみ、 怨みが上品に詠われています。 五世紀末、日本で云えば大和時代の作品ですが、形も整っていて唐の時代に完成した、 絶句の先駆けとなっています。 宮女の嘆きという詩題も後世沢山作られました。 怨情 盛唐 李白 美人 珠簾を捲き 深く座して蛾眉を顰(ひそ)む。 但(た)だ見る 涙痕の湿(うるお)えるを 知らず 心に誰をか恨むを |
NO.35 秋思 中唐 張 籍 洛陽城裏見秋風 洛陽の城裏 秋風を見る 欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意万重 復恐惣惣説不尽 復(また)恐る 惣惣(そうそう)説いて尽くさざるを 行人臨発又開封 行人発するに臨んで 又封を開く 七言絶句 押韻 風、重、封 洛陽のまちに秋風が吹くのを見た。 故郷への手紙を書こうと思うと沢山の思いが溢れてくる。 せわしく落ち着かない気持ちで書いたので思いを全部書いたか心配になり 手紙を託した旅人が出発する間際、又封を開いてみる。 唐の都、洛陽に一人居て、秋風を見る。 この見るというのが眼目です。 只単に秋風を聞くとか、感じるとかではなく、見るのです。 川面にさざ波が立ったのか、木々の枝先の葉が揺れたのか・・・ とにかく秋風を見て、そして秋を感じる。 秋を感じると共に望郷の念が起き、ふと故郷への手紙を書きだすと、 つのる思いが止めどもなく次々と溢れてくる。 心此処になく書いたため、手紙を託した旅人の出発間際、書き残しがないか心配になり、 又封を開けて読み返す・・・ 感情の動きが自然で、人間の心の機微が感じられます。 |
NO.36 夏夜追涼 南宋 楊 万里 夜熱依然午熱同 夜熱は依然として午熱に同じ 開門小立月明中 門を開きて小(しば)し立つ 月明の中(うち) 竹深樹密虫鳴処 竹深く 樹密にして 虫の鳴く処 時有微涼不是風 時に微涼有り 是れ風ならず 七言絶句 押韻 同、中、風 夜になっても相変わらず昼間の熱気が続いている。 そこで、門を開け、外に出て月明かりの中、暫く佇んでみた。 竹が鬱蒼と生え、木が生い茂る辺りに虫が鳴いている。 その時、かすかな涼しさを感じたが、それは風の為ではない。 風のために涼しさを感じるのは普通だけど、虫の鳴き声によって涼しさを感じる・・ いかにも北宋の人らしく一ひねりした詩になっています。 前半は暑く明るい情景を描き、転句では一転して暗い世界になります。 その中でかすかな虫の鳴き声を聞く。 と、風もないのに一瞬涼しさを感じた。 茹だるような暑さ~月明かり~暗い木陰~虫の音~涼しさ と自然に状況が流れていきます。 |
NO.37 竹里館 盛唐 王 維 独座幽篁裏 独り座す 幽篁(ゆうこう)の裏(うち) 弾琴複長嘯 琴を弾じ複(また)長嘯(ちょうしょう)す 深林人不知 深林 人知らず 名月来相照 名月 来たりて相(あい)照す 五言絶句 押韻 嘯、照 ただ独り、このひっそりとした奥深い竹林に座って、 琴を爪弾き、声を長く引き詩を吟じている。 深い竹林の中のこの趣を人は知らないが、 名月だけは来て、私を照らしてくれる。 王維は長安の東南、藍田県(らんでんけん)に?川荘(もうせんそう)と云う 広大な別荘を持っていて、その中の名勝20景を選び、その1景について 一首の五言絶句を詠んでいます。 竹里館もその中のひとつです。 高級官僚として俗世間にどっぷり浸かった詩人が、 だからこそ静かな自然の中で生活する楽しさを顕わしています。 この静かな奥深い竹林の中のあずまやにただ独り座り 琴を弾じ声を長く引きながら詩を吟じている。 世俗を離れた楽しい世界、すなわち俗世間の利害の損得を捨てた世界を 人々は知らないが、 名月だけは理解して奥深い林の奥までこの私を照らしに来てくれる。 同じく?川集の中の有名な一句をご鑑賞ください。 鹿柴(ろくさい) 空山 人を見ず 只人語の響きを聞くのみ 返景 深林に入り 復た青苔の上を照らす。 |
NO.38 飲酒 其五 東晋 陶 潜(淵明) 結廬在人境 廬を結んで人境に在り 而無車馬喧 而(しか)も車馬の喧(かしま)しき無し 問君何能爾 君に問う 何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと 心遠地自偏 心遠ければ地自(おのず)から偏なり 采菊東籬下 菊を東籬の下(もと)に采(と)り 悠然見南山 悠然として南山を見る 山気日夕佳 山気 日夕(にっせき)に佳く 飛鳥相与還 飛鳥 相(あい)与(とも)に還る 此中有真意 此の中に真意有り 欲弁已忘言 弁ぜんと欲すれば已(すで)に言を魔 粗末な家を人里の中に構えている しかし、車や馬の往来が喧しい筈なのに喧しくない。 君に聞くが人里に居て何でそんなことが出来るのか。 それは心が人里から遠ければ、地は自然と辺鄙になるからだ。 菊を東の垣根のもとで摘み 悠然として南の山を見る。 山の景色は夕暮れが佳く 飛ぶ鳥が連れ立ってねぐらへ帰ってゆく。 この何気ない情景の中にこそ人生の真意がある。 それを説明しょうとすると、とたんに説明すべき言葉を忘れてしまう。 五言古詩 押韻 喧、偏、山、還、言 4句、4句、2句の構成になっていて、最初は隠者とはこうゆうものだと詠い、 次に実際の暮らしぶりを、最後に結論を述べています。 3句・4句目の「君に問う・・」以下は自問自答の句で、 自分に問い掛けて自分で答えを出しています。 作者が役人を辞めて、故郷の田園に隠居の生活をしているときの作品で 陶淵明の代表作です。 田園とは云え人里はなれた山中ではなく、俗世間なのだが、 心構えがどうであるかにより 隠者の生活が出来ると詠っています。 |
NO.39 破山寺後禅院 常建 <破山寺の後の禅院> 清晨入古寺 清晨(せいしん) 古寺に入れば 初日照高林 初日(しょじつ) 高林を照らす 曲径通幽処 曲径 幽処に通じ 禅房花木深 禅房 花木深し 山光悦鳥性 山光 鳥性を悦(よろこ)ばしめ 潭影空人心 潭影(たんえい) 人心を空(むな)しうす 萬籟此都寂 萬籟(ばんらい) 此(ここ)に都(すべ)て 寂(せき)として 惟聞鐘磐音 惟(た)だ 鐘磐(しょうけい)の音を聞くのみ 爽やかな朝まだ早き頃古刹に入れば 昇ったばかりの朝日が高い林の梢を照らしている。 曲がりくねった小道は奥深い静かな所に通じ、 そこには禅房があり、深く生い茂った花木に囲まれている。 朝日に輝く山の光は小鳥たちを喜ばせ、 清く澄んだ淵の色は人の心から俗念を洗い流してくれる。 すべての物音がここでは静まり、 その静寂の中、寺でつく鐘(かね)と磐(けい)の音だけが聞こえてくる。 五言律詩 押韻 林、深、心、音 対句 首聯、頷聯、頸聯 五言絶句の場合通常は頷聯、頸聯が対句になり、首聯が対句に成れば 頷聯は緩い対句か対句で無くなります。 破山寺は今の江蘇省常熱の破山に在った興福寺のことで、作者がその破山寺の 裏に在る僧房を尋ねて、その佇まいに意を得て作ったもの。 全体的に仏教の悟りに近い自然に同体化した境地が詠われています。 曲径の先の幽処には作者の到達した無心の境地があり、頸聯では悟りの境地を 詩的に詠い、本懐を述べ、尾聯では僧房の静かな佇まいを述べることにより 自らの心の静寂なことを暗示しています。 |
NO.40 山泉煎茶有懐 中唐 白居易 山泉にて茶を煎て懐(おも)い有り 座酌??水 座して酌(く)む??(れいれい)の水 看煎瑟瑟塵 看て煎る瑟瑟(しつしつ)の塵 無由持一盞 一盞(いっさん)を持して 寄与愛茶人 茶を愛する人に寄与するに由(よし)無し 五言絶句 押韻 塵、人 座って清らかに流れる水を汲み 目の前で深い緑色のお茶を立てる この1ぱいのお茶を お茶好きの人に与えたいけど、すべがない すでに何回か紹介した白 居易(白 楽天)の酒ではなく、お茶を詠っています。 高官として地方に赴任していたときの詩で、後半は、こんな美味しいお茶を 飲みたければここに来なさい・・・と詠い、 自然での生活を満喫しています。 又前半、「??の水」とか「瑟瑟の塵」の言葉で自然での清らかさを表現しています。 |
NO.41 金陵駅 文天祥 南宋 草合離宮転夕暉 草は離宮を合(かこ)み 夕暉転ず 孤雲飄泊複何依 孤雲 飄泊して 複(ま)た何(いずこ)にか依らん 山河風景元無異 山河 風景 元(もと)異なること無きに 城郭人民半已非 城郭 人民 半ば已に非なり 満地蘆花和我老 満地の蘆花は我と和(とも)に老い 旧家燕子傍誰飛 旧家の燕子は誰に傍(そ)うてか飛ばん 従今別却江南路 今より別れ却(さ)る 江南の路 化作啼鵑帯血帰 化して啼鵑と作(な)り 血を帯びて帰らん 七言律詩 押韻 暉、依、非、飛、帰 対句 頷聯(3,4句)、頸聯(5,6句) 離宮は四面雑草で覆われ、夕日は西に沈んでゆく。 空に漂うひとひらの雲はどこに身を寄せようというのだろう。 山も河も、風も光も昔と少しも変わりはないが、 町や、そこに住んでいる人々の様子は、大半すでに変わってしまっている。 あたり一面に咲く蘆の花は私と同様老いてしまい、 旧家に住んでいた燕はどの家を頼って飛ぶのだろう。 今より江南に別れを告げて去る。 だが必ずや、鳴いて血を吐く不如帰となって再び帰ってくるだろう。 元との戦争に敗れ、離宮も荒れ果てている。 山や川の風景は変わっていないけど、町に住む人々は大半亡くなってしまった。 人家に巣づくっている燕も家をなくしてどこの家を頼りに飛べばいいのだろう。 今からいよいよ江南とも別れる。 自分は死んでも、鳴いて血を吐くという不如帰に為ってでも帰り国のために尽くそう・・・ 敵軍に捕らわれその才能ゆえ降伏を勧められたが応ぜず、 処刑のため元の都に護送される途中の壮絶な気持ちを詠っています。 奇しくも今この夜中、外では不如帰が鳴き続けています。 一度鳴き出すと喉が破れるのではないかと心配するほど鳴き続け、 又口の中が赤いので鳴いて血を吐く不如帰といわれています。 |
NO.42 憫農 (其二) 中唐 李紳 農を憫(あわ)れむ 鋤禾日当午 禾(いね)を鋤(す)いて 日 午に当たり、 汗滴禾下土 汗は禾下(かか)の土に滴(したた)る。 誰知盤中餐 誰か知らん 盤中の餐(さん) 粒粒皆辛苦 粒粒 皆 辛苦なるを 五言絶句 押韻 午、土、苦 稲畑を鋤いていると昼になり 汗は稲の下の土に滴り落ちる。 誰が知っていよう、食器に盛られたご飯の一粒一粒が 農民のこうした苦労のたまものであることを。 後に宰相にまでなった作者の農民について詠った連作の二番 で、 何の気もなく食べているお米は農民の血と汗の賜物であり、 あだやおろそかには出来ないと詠っています。 「粒粒辛苦」という言葉の出典になっています。 |
2012年2月10日 星期五
漢詩(かんし) 日本語對照 kanshi-nihongo
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